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ドイツやイタリアの現在から何を学び、 大江健三郎や村上春樹の問いにどう答えるべきか?

私たちはドイツやイタリアの現在から何を学び、 大江健三郎や村上春樹の問いにどう答えるべきか?
2011年 6月 16日 時代をみる 加藤哲郎無責任の体系脱原発自省的視座の欠如
<加藤哲郎(かとうてつろう):一橋大学名誉教授>

2011.6.15 第二次世界大戦後の日本は、戦争と空襲で多くの犠牲者を出し、その反省を踏まえて、日本国憲法をつくりました。

ナチス・ドイツ、イタリア・ファシズムと結んで世界の民主主義国に敵対し、資源と市場を求めてアジア諸国に侵略した歴史への反省は、日本国憲法第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に結実しました。いやこれは占領軍の押しつけだという人は、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』あたりから、当時の歴史を学んでください。

もう一つ、第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」も、引いておきましょう。この「生存権」規定は、GHQの草案にもなく、国会審議の過程で追加された、正真正銘の「自主的」条項です。そしてその権利が、東日本震災から3か月もたつのに、数十万人の人々に、最低限のレベルでも保障されない状況が続いています。

避難所生活が続く人々に、世界中から集まった義捐金・見舞金が、まだ1割しか渡っていません。当座の生活に必要な資金が足りません。でも仕事も職場もありません。仮設住宅に入居すると、それまでのコミュニティから切り離され、食料も電気・水道代も自分で支払う「自活」が求められます。ですから抽選にあたっても、入居できない人がたくさんいます。がれきの山が片づきません。

海岸線の鉄道復旧は全く見通しがたちません。いまだに8000人が行方不明です。8万人以上が避難所生活3か月です。衣食のために住を捨てるか、住を選んで衣食がまかなえるかの不条理な選択に迫られ、およそ「健康で文化的」以前の、ぎりぎりの生存があやうい状態です。国家の存在意義、政治の前提が、問われています。

 福島県相馬市の酪農業の男性が、「原発さえなければ」と書き残して自殺しました。かつての戦争での日本の同盟国、ドイツもイタリアも、福島原発事故の衝撃で、明確に「脱原発」に踏み出しました。ドイツでは、2022年までにすべての原発を閉鎖し、再生可能エネルギーに転換します。

沖縄タイムス社説のいう通り、「日本に突きつけた挑戦」です。イタリアの国民投票は、投票率57%で、原発再開反対94%と結論が出ました。チェルノブイリ事故後の国民投票で停止した原発は、フクシマの悲惨を見て、永久に放棄されるでしょう。すでにスイスも国民議会で脱原発を決議、原発大国フランスの世論調査でさえ、8割が脱原発へと動いています。

日本でも、14日付朝日新聞の調査では、74%が原発「段階的廃止」と出ています。しかし日本ではなお、世論が脱原発へと動き始めたとはいえ、政治の動きが曖昧で、先行き不透明です。6.11全国「脱原発100万人アクション」は、ウェブのネットワークで呼びかけられ、東京新宿の2万人をはじめ国内140カ所でさまざまな創意的デモ・パレード・イベントが繰り広げられましたが、マスコミの報道は小さく、新聞でいえばローカル紙では大きく取り上げられても、全国紙の多くは無視するかたちです。しかし東京でいえば、4・10高円寺、5・7渋谷から確実に広がり、新たな市民の力が加わっています。日本でも「脱原発の国民投票をめざす会」がつくられ、国民投票を求める動きが具体化しています。東北出身の菅原文太さんも国民投票に乗り出したとか。それなのに、経産省と「原子力村」に乗ったマスコミの最大の関心事は、「今夏の電力不足」です。

 世界と日本の世論の動きは、不幸なことに、3つの原子炉が同時にメルトダウンし、メルトスルーにまでいたった事態と並行しています。すでに膨大な放射性物質が放出されたことが、3か月後に公式に認められました。福島第一原発の深刻さは増し、いまなお事態を制御できていません。「核汚染大国ジャパン」の誕生です。第1に、事故現場で格闘する労働者・作業員の皆さんが、東電の杜撰な放射線量管理のもとで、8人が被ばく限度を越え、23人が作業から隔離されるまでにいたっています。

悲惨な現場での作業はまだまだ必要ですから、ヒロシマ・ナガサキに続くフクシマのヒバクシャは、ますます増えざるをえないでしょう。第2に、福島県内ばかりでなく、東京を含む日本全体に、放射性物質が拡散しています。茨城・千葉県の一部で放射線管理区域なみの放射線量が観測され、夏を控えて、こどもたちの遊び場や、プール・海水浴場も安心できません。こども全員に線量計を持たせ、土壌や海底を含む観測地点を飛躍的に増やさないと、実態さえつかめません。

日本の文部科学省や厚生労働省は、「健康で文化的な生活」を取り戻すための最低限の調査義務すら、果たしていません。外国から観光客がこないのは当然です。第3に、福島原発内の、膨大な汚染水と高濃度汚染のがれきの山があります。小出裕章さんが早くから言っていたように、10万トン級タンカーを買い上げ補修してでも汚染水を減らし、海や地下水への流入をくい止めるべきなのに、政府と東電は、アメリカ・フランス製処理装置の設置に手間取り、その効果も未知数のままです。

「多重保護システム」で「絶対安全」だったはずの原発がメルトダウンして、その事後処理は、あの4-5月の「水棺」騒ぎの時と同じく、単線的対策のみです。梅雨の季節をしのげても、台風の季節はどうなるのでしょうか。余震や建屋崩落の危険も去っていません。なにより現在でも、放射性物質は放出され、たれ流されています。この状態を安定させるだけでも、工程表通りには行かないでしょう。

ましてや廃炉・閉じこめ・廃棄物処理までの道筋は、一体何年かかるのか。内部被ばくを含む本当の被害・犠牲がわかるまで、何世代を要するのか。気の遠くなるような、いばらの道筋です。いったん暴走した原発は、人間の手に負えない怪物です。私たちはいま、チェルノブイリ以上に長く続く「危険社会化」を眼前に見ています。ヒロシマ・ナガサキ以上になりかねない、人類史上最悪の、人工構築物による緩慢な殺人=自殺を、経験しつつある可能性もあります。世界が注視し、反面教師とするのは、人間であるならば、当然のことです。

 まともな国の政府の、まともな政治ならば、全国会議員が地震・津波の被災地に入り、率先して国民の救済にあたるのが当然でしょう。昨年夏のチリの鉱山落盤事故の時のように、福島の下請け労働者に代わって、原発事故・放射能拡大をくいとめようと「英雄的」パフォーマンスに走る政治家も、出てくるものです。ところが、この国の政治家が棲息しうごめく永田町界隈では、なにやら陰謀めいた駆け引きと綱引きばかりで、いっこうに前に進みません。

当世風の政治学者としては失格かもしれませんが、次の首相や大連立内閣、政党政治よりも、日本政治の歴史的負荷、どこで道をまちがえたのかの方が、気にかかります。丸山眞男なら、「無責任の体系」で済ますことなく、律令時代の「マツリゴトの構造」まで遡るところでしょうが、非力の私にできるのは、せいぜいこの100年です。日本人と「原子力」の関わりを求めて、吉岡斉さん『原子力の社会史ーーその日本的展開』(朝日選書、1999年)をナビゲーターとして、戦時中の仁科芳雄らの原爆開発から戦後の科学技術政策・国民意識を調べ直して行くと、図書館で探したりアマゾンで注文する多くの文献が、東京外語大学科学史研究の吉本秀之さん「原子力と検閲」というサイトと重なることに気づきました。

私の関心が、吉本さんがこの1月から3・11を経て追究している「核エネルギー(原爆・原発と検閲)」の問題と重なり、吉本さんの読む参考文献・サイトの後追いになります。

本日付け朝日新聞「定義集」の大江健三郎の言葉を使えば、「ビキニ事件を端緒に、じつに短い期間で核実験反対の世論が原水爆禁止運動を盛り上がらせたが、同時に、日本はアメリカから原子炉、濃縮ウランを導入して、原発をつくるにいたった経緯」、いや、その歴史的根拠です。まさに定年後の科学史の手習いですが、日本の社会科学を含む科学技術の総体が、「ヒロシマ体験」と「悔恨共同体」(丸山眞男)から出発しながら、なぜ原発推進政治とフクシマに帰結したのかを考えるためには、不可欠の手続きのように思われます。

 文学の世界では、現代日本を代表する二人の作家の3・11以後の世界への発言、大江健三郎「歴史は繰り返す」と、村上春樹「カタルーニャ国際賞受賞演説」が、注目されています。共に「脱原発」の方向を明確にしながらも、村上春樹の方は、「我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害」「我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?」と問い、「理由は簡単です。『効率』です」と自答して、明快です。

他方、今回原発建設を「広島の原爆犠牲者に対する最悪の裏切り」とする立場を明確にし、「ヒロシマ・ノート」以来核兵器廃絶を課題とし実践し続けている大江健三郎が、なぜ1968年には「現に東海村の原子力発電所からの電流はいま市民の生活の場所に流れてきています。

それはたしかに新しいエネルギー源を発見したことの結果にちがいない。それは人間の新しい威力をあらわすでしょう。(略)核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」(講演「核時代への想像力」1968年5月28日、大江健三郎『核時代の想像力』新潮社、2007、120ページ)と発言しえたのかが、ウェブ上で問題にされています。

それはおそらく、私たち「68年世代」を含む高度成長期を体験した日本人が、なぜ村上春樹のように「我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです」ときっぱり言い切れないのかという、重い問題です。それを考えるために、吉岡斉さんや吉本秀之さんに学びながら、戦後日本の「平和」と「平和運動」を考えています。

武谷三男の著作集を読みつつ「イマジン」を更新するのが、さしあたりの日課です。おそらく問題は、冒頭に引いた日本国憲法第9条と第25条の歴史的関係であり、「戦争に巻き込まれない平和」を、モノが溢れる右肩上がりの経済成長のもとで享受し、ベトナム戦争に反対しつつも「対岸の火事」風にしかつきつめられなかった時代精神の限界性でしょう。空間的におけば、東日本震災の中で、直前までメアー日本部長差別発言で緊張していた沖縄の普天間基地移転問題が忘れ去られ、福島原発事故処理が長引く中で、基地移転そのものが棚上げされてオスプレイが配備されるにいたった事態への、日本政府の無策、本土「国民」の無関心の問題と、つながるでしょう。要するに、「ヒロシマからオキナワへ」「ヒロシマからフクシマへ」を通貫する問題をトータルに受け止める、自省的視座の欠如です。私に与えられた「第3の人生」の宿題は、痛切なものとなりそうです。

「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/

〔eye1467:110616〕
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ジャーナリスト、池田知隆のブログです。最近の記事、イベント情報などを掲載しています。

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