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フクイチ・ルポ(産経・毎日・東京)「息をのむ異様な光景」吉田昌郎所長 「死ぬと何度も」「終わりかなと感じた」 作業「危険な状態」

〔フクシマ・NEWS〕 フクイチ・ルポ(産経・毎日・東京)「息をのむ異様な光景」吉田昌郎所長 「死ぬと何度も」「終わりかなと感じた」 作業「危険な状態」

 ◇産経 → http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111113/dst11111300420001-n1.htm

 ……人の営みが消えた警戒区域、外壁が吹き飛び、いまでも崩落が続く原子炉建屋…。顔を覆うマスクを装着し、防護服をまとい完全防備した記者が見たのは、思わず息をのむ異様な光景だった。(大竹直樹)

 ◇ 毎日新聞 → http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111113k0000m040050000c.html

 現地の事故対応を指揮してきた同原発の吉田昌郎所長(56)は「3月11日(の事故発生)から1週間は、極端なことを言うと『もう死ぬだろう』と思ったことが数度あった」と当時の危機的な状況を振り返った。原発の現状については「原子炉は安定しているが、作業する面では(放射)線量も非常に高く危険な状態だ」と説明した。

 
…… 午前10時、原発から南に約20キロの「Jヴィレッジ」(福島県広野、楢葉両町)をバスで出発した。車内の放射線量は毎時1.5マイクロシーベルト。靴は二重にビニールで覆い、軽い不織布製のつなぎの防護服を着用。綿の手袋の上にゴム手袋を重ね、綿の帽子に布のマスク。いずれも東電指定の装備だ。

 警察の検問を抜け、一般の立ち入りが禁じられた警戒区域内に入る。国道6号を北上する途中、時折作業員を乗せた車や警察車両とすれ違う。それ以外に人の気配はない。駐車場には置き去りにされた車が止まり、「営業中」の札がかかった飲食店も無人。原発事故以来、街の時間は止まっている。

 約30分後、原発から約3キロの駐車場で全面マスクの装着を指示される。額とあごが圧迫され、息がしづらい。

 午前10時40分ごろ、福島第1原発の正門に到着した。放射線量は毎時15マイクロシーベルト。「50マイクロシーベルトです」「100マイクロです」。正門を入り、貯水タンクや汚染水処理施設の制御室などを過ぎて中を進むと、東電職員の叫ぶ数字がみるみる大きくなっていく。

 約5分後、1~4号機から南西約600メートルの高台でバスが止まった。

 壊れてはいけないものが、崩壊している。最も南側の4号機の原子炉建屋は、厚さ1メートルの壁がところどころ崩れ、骨組みが露出している。記事では何度も書いてきた「安全神話の崩壊」を、初めて目の当たりにした思いだった。

 西側の崩れた壁の間からは、定期検査中のため外していた格納容器の黄色いふたが見える。北側の3号機の上部で、残っていた骨組みが内側に丸まり、爆発のすさまじさを証言する。

 坂を下り、バスは1~4号機の建屋と海との間の道に入った。途中、車内の放射線量は毎時200マイクロシーベルトに上昇。車窓からは作業員の姿が。われわれより高い放射線にさらされながら事故収束にあたる姿に、頭を下げた。

 海側には高さ約4メートルの仮設の防潮堤が築かれていたが、よく見ると石を詰めた袋を積みかさねただけ。建屋側には津波で流された車やがれきが放置されている。道を進むと次第に線量は上がり、3号機横ではこの日最高の毎時1ミリシーベルトに達した。

 午前11時40分、緊急時対策本部のある免震重要棟に到着。ここで初めて原発の敷地を足で踏んだ。装備を外す。わずか1時間半程度だったが、全面マスクの息苦しさと圧迫感はつらかった。大きく息を吸える開放感にひたりながら、夏場も防護服に身を包んでいた作業員の苦労を少しだけ想像できた。

 午前9時から午後2時半ごろまでの記者の積算線量を確認すると57マイクロシーベルト。胸部X線の集団検診1回分に相当する。安全とされる所を選んだ短時間の取材でも被ばくは避けられない。廃炉を含め30年以上に及ぶ事故収束への道のりは険しい。【笈田直樹】

 ◇ 東京新聞 → http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011111390071250.html

 政府は十二日、東京電力福島第一原発の敷地内を、三月の事故発生後初めて報道陣に公開した。収束作業の指揮を執る吉田昌郎(まさお)所長が現地で初めて取材に応じ、「炉は最も重要な冷却が進んでおり、安定しているが、放射線量が高いなど環境は今も厳しい」との認識を示した。

 吉田所長は福島県民と国民に対し、「心よりおわび申し上げたい」と陳謝した上で、「今、働いている人はほとんどが福島の人。私も十四年ここに住んでおり、なんとかしたいと思っている」と述べた。

 事故発生当時を振り返り、「次がどうなるか想像もつかない中でできうる限りやった。『死ぬだろう』と思うことが数度あった」。2号機に冷却水を入れられなかった三月半ばには「コントロール不能になって終わりかなと感じた」という。

 当面の課題として放射線量の高さを挙げ、「敷地内はまだ危険な状態」との認識を示した上で、次第に作業員の被ばく線量が増えていく状況に、「人繰りが頭の痛いところだ」と語った。

 報道陣は、細野豪志原発事故担当相の現地視察に同行する名目で原発敷地内に入った。内閣記者会加盟の報道各社や地元新聞社、テレビ局、外国報道機関が参加した。

 敷地内の滞在時間は三時間余りで、防護服や全面マスクを着用。1~4号機を中心に、車内から見て回った。ただ取材場所や撮影は厳しく制限された。国は「核物質の安全や記者を被ばくから守ることを考えた」と制限の理由を説明している。

Posted by 大沼安史 at 09:05 午前 | Permalink
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