03 09

たね蒔きジャーナル20110308

3/8(木)永岡です、毎日放送ラジオのたね蒔きジャーナル、今日は千葉猛さんの司会、毎日新聞大阪本社論説委員の池田昭さんの案内で放送されました。津波被害、全校生徒が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校、逆に全校生徒が助かった岩手県釜石市、ここを今週と来週、毎日放送の記者、伊佐治整(せい)さんが報告します。

 原発のニュース、福島事故を受けて安全規制の見直し、規制庁は4月1日の発足が困難になり、保安院、安全委の再編であるのですが、野党から反対されており、再稼働のことは保安院が審査するものの不十分とのことで、規制庁の遅れで再稼働が遅れる可能性もあります。
しかし、池田さん、経産省が政治判断でやるので、基本的に日本政府は原発を増やす方針であり、代替エネルギーの開発までいつまで原発を使うかを政府が示さないといけない。事故も収束しておらず、最終処分場もなく、再稼働を急ぐ疑念あり、何も分からないうちに(事故調査委の結果も出ていない)再稼働と、経済の論理だけで進むのはおかしいと指摘がありました。

 そして、伊佐治さんの報告。津波を生き抜く力を子供たちに、であり、震災で未成年の死者は1046人、未来のある子供が失われるのは大きいことで、宮城の石巻大川小、津波到来までに50分あったのに被害が大きく、大川小、合併前は河北町。湾まで5km、海は直接見えないのです。捜索を見つめている家族もあり、行方不明のわが子を探そうと、重機の免許を取ったお母さんもいるのです。

 敷地内で伊佐治さんの取材、お子さんを亡くした方、震災の2日前に大きな地震もあり、地震の時はみんなと一緒に学校にいた方がいいと思い、もし家に戻れたら助かったのです。学校だと友達もいて安心と思い、犠牲になりました。学校は子供に安心できる場所なのです。

 大川小で、全校生徒が校庭に集まり、山に逃げたらと思ったものの、山崩れが怖いとなり、先生たちが話し合っているうちに津波が来て、45分後に避難を始めて、走るのではなく列を作り、さらに津波が遡ってきた川に行ってしまい、被害に会ったのです。50分後、避難する子供たちの列を津波が襲い、遺体の見つかっていない子供が4人います。

 大川小、地震、津波の対策マニュアルはあったものの、具体的な避難場所もなく、避難訓練も年1回、それも校庭に集まっておしまいであったのです。

 対照的なのが岩手の釜石、市内の小中学校の生徒が助かり(生存率98.4%)、釜石の奇跡と言われて、これは防災教育のためで、釜石は明治の津波で人口の1/3が流されて、防災教育、津波対策を行い、伊佐治さん2月に釜石を取材し、釜石東中学、ほとんどの建物は津波で失われましたが、風の強い土地で、伊佐治さんの行ったときも砂煙であったのです。鉄筋3階建て、窓ガラスは3階まで壊れており、子供たちがいた気配のない模様で、スクールバスも壊れて、3階に軽自動車が突っ込んだままです。

 池田さん、釜石の奇跡と大川の悲劇、避難三原則(阪神・淡路で見直し)を防災で持っていた、防災教育が大切と言われました。伊佐治さん、釜石では一斉に避難し、避難ルートは地震発生直後に避難を始めて、地震後パニック状態であり、各自走って高いところに逃げて、泣いて走れない人もいて、しかしひたすら必死に走るだけなのです。となりに小学校もあり、3階に逃げるのではなく、中学生の避難を見て、もっと高いところに逃げたのです。3階に残っていたらアウトであり、大きな行為であったのです。中学、小学校で合同訓練も何度も行い、その成果もあったのです。足の不自由な子供をおんぶして逃げた人もいるのです。手押しの乳母車に乗った保育園の子供もいたのです。高台の福祉施設に逃げて、その後津波を目撃、さらに逃げて、石材店に逃げて、急斜面を上った子供もいるのです。上靴のまま逃げた(直線距離で1700m、大人でも30分かかる)。最初の避難場所の福祉施設は水没し、次の石材店で助かったのです。

 子供たちの話で、考えずに逃げており、津波避難の三原則に乗り、率先避難、想定にとらわれない、最善を尽くす、危険だと判断したらさらに山を登って避難して助かったのです。学校にいる生徒以外も避難し、釜石小学校、短縮授業で、子供たちは家にいて、しかし子供たちは避難マップを作り、どこに避難するかを手作りのマップを作り、大丈夫と言う祖母を連れて高台に逃げていたのです。避難地図は覚えており、避難場所も分かっている、地震で避難場所が頭の中にあり、自分で地図を書くと違うと言うことです。伊佐治さん、子供たちの対応の素晴らしさに感嘆し、校長は訓練の成果と言っています。

しかし、釜石で子供たちは成果を出しているのに、行政は取材に冷たく、取材拒否、大人たちの消極的姿勢はある建物にあり、それは防災センター、100人の人が逃げたのに津波にやられたのです。震災の前の年に出来たもので、外見はきれいで、しかし中は津波で破壊され、正面に祭壇、小さな仏様が立っています。時計は、3時44分で止まったままです。ここで分かっているだけで68人が亡くなり、誰が逃げ込んだか分からず、ここで子供二人が亡くなったのです。池田さんは、この大川と釜石、両方から学ばないといけないと言われました。井上ひさしさんが、校歌を作詞され、過去を見て未来を見ると言われていると言うのです。

 来週も伊佐治さんの、津波のお話があります。これをお知らせいたしました。
スポンサーサイト
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する

tomo

Author:tomo
ジャーナリスト、池田知隆のブログです。最近の記事、イベント情報などを掲載しています。

池田知隆公式サイト
http://ikedatomotaka.main.jp/
E-mail; PEB00015@nifty.com

大阪自由大学サイト
http://kansai.main.jp/

プロフィール
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
カレンダー
カウンター
QR

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ