03 12

たね蒔きジャーナル20120312

3/12 永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。水野さん、福島の郡山での脱原発イベントに行かれて、1万6000人来たそうです。会場は野球場で、外野席の芝生は放射能の懸念で立ち入り禁止であったそうです。放射線量が高く、それを映像で見せられないと水野さん言われました。詳細な報告は金曜日にされるそうです。

 原発のニュース、世界で脱原発デモであり、平野さん、ドイツのメルケル首相、脱原発は正しかったと言っており、フランスもサルコジ氏、大統領選挙は厳しい情勢であり、「ハチドリの一滴」、アンデスの伝承話(森が燃えて、ハチドリのみ水を飲んで水滴で消そうとするが、みんなハチドリを笑うものの、ハチドリは自分にできることをしているだけと言った)、これは脱原発、ボランティアにも通じる、市民の力が大きくなるということを言われました。リスナーより、大阪の脱原発デモに参加して、小学生の子供と行くと、避難している人と知り合い、子供がこの方の話を理解したと言うのです。

 大飯3,4号機の再稼働を差し止める仮処分を、住民が大阪地裁に提起です。国の指針は間違いとしています。活断層地震が起きるor大津波の危険性を指摘しています。

 そして、デタラメ氏こと斑目氏、精神的な限界として退任するそうです。原子力規制庁の発足は遅れており、しかし、それでもデタラメ氏辞任します。デタラメ氏、原発事故を防げずと謝罪です。

 そして、小出先生のお話、
デタラメ氏の辞任、お疲れだろう、自分がデタラメ氏なら1年持たない、辞めたいというのは当然だが、安全委の一人で責任あり、お詫びをして、どう責任を全うするか聞きたいのです。これから原子力を進めるのか、止めるのか、聞きたいのです。

 リスナーより、京都の円山公園でイベントがあり、バイバイ原発3・10、立ち見、会場に入れない人もいて、6000人集まり、全世界で原発反対行動が行われ、小出先生、脱原発の盛り上がりにどう感じられたかについて、難しい質問だが、原子力を進めるには大きな力があり、止めてほしい運動の力は小さかった。大きな声になったこともあった(チェルノブイリ)がそれが小さくなり、今回の盛り上がり、いったいどこまで続くのか、正直に言うと不安だが、今は誰かが笛を吹いてついていくのではなく、一人一人がお金も関係なくやっているので、希望も感じると言うことでした。

 オーストリアでこういう動きが原発を変えて、オーストリア、原発を作ったのに、完成したものを国民投票で78年に放棄し、完成せず放棄したのです。ウィーンの近くなのですが、どうしてそういうことが出来たか、チェルノブイリ後にウィーンでアンチアトム国際会議があり、ウィーンのデモ行進があり、日本のデモ行進はどこかが動員してシュプレヒコールを上げるものなのですが、ウィーンのデモは号令なし、自発的に人が集まり、合流し、違うプラカードを立てて、乳母車を押す人もいて、一人一人が参加するものであり、こういう人がいれば原子力は止めさせられると思った。3月10日、日本もここまで来たと思われたのです。

 私も3月10日は小出先生とともにデモしまして、感慨深いです。これをお知らせいたしました。

たね蒔きジャーナル、続いて、昨年の津波被害で、宮城県気仙沼市の避難ビルに避難した方々のお話を、毎日放送の亘佐和子さんの取材でお送りいたします。

 その前に瓦礫の受け入れのお話があり、平野さん、みんな不安であり、全国一律の受け入れはおかしい、基準もないのに野田総理の方針はおかしいとコメントがありました。

 で、亘さんのお話、気仙沼、死者不明者が千数百名あり、しかし津波指定ビルを30年以上前から作っており、3階建て以上、逃げる高台のない時にここに避難するもので、こういう指定が増えており、大阪も800か所指定しているのです。気仙沼、15か所の避難ビルに3000人避難して助かったのです。

 どこに避難するかが生死を分けるもので、気仙沼、障害児施設の方、この施設で午後3時から子供を預かり、地震発生時にはまだ預かっていないものの、隣の保育所に子供がいて、この方はこの子供たちを連れて津波避難ビル(公民館)に行き、毎月避難訓練をしていて、子供たちは昼寝の時間なものの、施設の人が子供たちを連れて、3階に逃げて、満員電車並みの混雑でしたが、津波が黒い波で来て、家を崩して、白い煙を巻く津波であったのです。

障害児施設、保育所ともに2階への避難を想定していたが、2階では足りず、この3階にどうやって450人避難できたか、という結果であり、津波避難ビルは国が3階建て以上と指定されており、第1波は強く、建材用の垂直梯子を使って屋上に逃げて、そこは立ち入り禁止で、子供たちをおんぶひもで抱えてあげたのです。3階でも危なく、屋上へ行くが、防犯のため鍵がかかっており、津波避難なら、屋上避難の想定も必要なのです。

 気仙沼、大規模火災も発生し、みんな孤立して、屋上は当時氷点下で、夜には3階に戻り、子供たちは翌日ヘリで救助。津波避難ビルは一時的な避難場所と思われていたのですが、何百人何日か過ごすことを想定しないといけないのです。「避難所には水、毛布が要る」のです。保育所では避難グッズを公民館に置いていたものの、1階なので津波でダメになり、これも課題です(上の階に置いておくべき)。

 また、連絡方法も要り、消防署などに連絡したい。津波避難ビルに海上保安部のビルもあり、発電機、非常食、水、着替えもあり、津波避難ビルに多くの人が来ることを想定しないといけないのです。平野さん、運営する人の想像力(使える水か)だと言われました。水野さん、行政のお金、予算も要ると言われました。 他にも課題があり、気仙沼の指定した高台に逃げた人のことで、小高い丘もあり、津波避難ビルに逃げた3000人はみな助かったが、高台に逃げて津波にのまれた人もいて、半島のところの集落、3方向が海に面したところで、90人亡くなられ、市の指定した高台に避難して助かった方、昼間に地震があり、その後避難を高台に誘導し、普段からここへ逃げる訓練をしていたのです。この高台なら大丈夫と言うことで、そこに家がありそこなら大丈夫と思い、高台に避難する訓練をしており、津波の時もその通りに逃げたのですが、反対側からも波が来て、建物の中に流されて、しかし何とか屋根の上に上り助かったのです。波にのまれて、高台の建物に吸い込まれるようなもので、しかし今回は屋根に上り、それが流されたものの何とか助かったも
のの、この建物の中で3人の方が亡くなったのです。高台に80~90人避難したものに、20人しか助からず、30人は今も行方不明、津波は17mあり、高台でも足りなかったのです。

 気仙沼の市役所、高台避難はここなら安全だと決めていたのに,明治三陸津波でも大丈夫なところを指定したのに、それを越す津波であり、それを想定しないといけなかったのです。これまでの経験からここなら大丈夫と思っていたのに、それを超えるものになり、二段階避難が要る。高台のみが盛り上がり、そこからさらに山に逃げられず、つまり、さらに山に逃げられる場所が要るのです。高台に逃げる道を整備する、学校からさらに山に逃げる経路も要るのです。想定を超えることを考えて、さらにもう一段上に避難しないといけないのです。

 平野さん、二段階避難は難しく、時間との勝負で、国は5分で逃げろと言っているものの、若い人は良いものの、お年寄りはアウトとの指摘もありました。決めても、訓練を繰り返さないといけないとコメントされました。水野さん、こういうことに国はお金を出してほしいと言われ、平野さん、防災都市づくりが必要と言われました。

 近畿でも津波指定が進んでいるものの、それで終わりではない。何を準備するのか、冬、雪の中どう逃げるのか、想像力がいるということを亘さん言われました。

 リスナーより、避難ビルを始めて知り、しかしどこにあるか知らないとの指摘があり、また夜中に避難ビルに行っても入れないのでは、という指摘もありました。訓練の成果、釜石の奇跡があると平野さん言われました。弱い人、子供の対策も必要と言うことでした。

 今日は、気仙沼を取材した亘さんのお話をお届けいたしました。



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tomo

Author:tomo
ジャーナリスト、池田知隆のブログです。最近の記事、イベント情報などを掲載しています。

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