03 19

たね蒔きジャーナル20120310

3・19 永岡です、毎日放送ラジオのたね蒔きジャーナル、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。水野さん、坂田記念ジャーナリズム賞をプロデューサーやディレクターとともに受賞、ラジオ番組として初の快挙なのです。平野さん、在野の精神がある、大阪ジャーナリズムと評されました。原発報道(つまり、小出先生のお話)で受賞し、これも意義があると平野さん指摘され(政府、東電の発表がデタラメであった)ました。小出先生のお話も予見が当たった形であり、被災地の方にも聴いてもらえた、反響の多さであり、リスナーからの励ましも多かったのです。私もこの番組を聞き始めて明後日で1年です。


 原発関係のニュース、大阪市と大阪府は、関電に原発を廃止しろと提案し、橋下氏、国民も原発から距離を置こうとしていると話し、大阪市は関電の9%の株を持っており、発送電分離、電力需給、役員報酬の開示を求めています。株主には2/3の賛成が必要で、神戸、京都にも賛同を求めています。

 また、秋田のペレット(暖房機の原燃料)、スウェーデンの木からセシウム137が検出され、セシウム134はなく、これはチェルノブイリのものとみられています。1kg8000ベクレル以下なら国はOKとしているものの、その3倍です。

 そして、小出先生のお話、坂田記念ジャーナリズム特別賞で、
審査委員の講評があり、この1年小出先生のお話を届けていたことで、同志社の渡辺先生のお話であり、様々なところで話題になり、原発の問題を事故が大きくなるまで知らなかった、安全神話にメディアも加担して、背景の問題も、小出先生を起用して連日発信して、世界に発信され、大きな反響を呼んで日本の世論を変えて、貢献報道としても高く評価されたと言われました。

 小出先生のおかげで原発について考えられて、「おめでとう」、水野さん、平野さん、近藤さん、スタッフの努力の賜物で、小出先生も素材の一つでうれしい、賞に恥じない正確な報道を、とのコメントもありました。

 メディアが安全神話に加担して、それ、水野さん、何と申し開きしていいかと言われ、平野さんも発表報道に慣れていたとコメントされて、ホンマかいなとの、素人なりの判断を、小出先生が評価して、「あまりにひどいウソをつき続けて来て、これに気付かないといけない」、マスコミも、重い旗振り役をしてきたと言われました。

 で、今日のテーマ、安全協定、地元の範囲は原発の立地する自治体だけでいいのかとなり、福島だと、大熊、双葉町に立地して、その2か所の了承を取り付けたら良かった。東電はこのふたつにお金を山ほど配り反対できないようにして来た、しかし、事故が起きたら飯館村という日本一美しい村(原発の恩恵ゼロ)が汚染された、電力会社はやりたいように金で操れる範囲は小さくとしていたのです。

 大阪市、大飯がやられたら大阪も被曝するというデータを出しており、安全協定はおかしい、複数県に渡ってもいいと平野さん言われて、平野さんの郷里の四国も、九州へ海を超える場合もあり、日本全部が被ると言われて(つまり日本全部が原発の地元になる)、小出先生もその通りと言われました。

 今日のお話をお届けいたしました。

続いて、昨年2月以来の出演の、淀川キリスト教病院ホスピスの主任看護師、田村恵子さんの、ガンとともに生きると言うテーマでのお話がありました。去年の3月にもう一度と思っていたのに、震災で出られず、1年ぶりのスタジオ出演なのです。

 ホスピスは積極的な治療をせず、最後の観取りをするもので、1984年の4月にここで開設されたのです。今は増えて、全国で200か所になっています。田村さん、被災地にも行かれて、岩手の釜石に5月に行き、2か月半経ったところで、ほとんどの人が避難所で暮らされているところで、釜石の教会をベースに物資配給をして、赤テントを張り、寒いので、薪をくべて、町の人にお茶を配っていたのです。

 田村さん、多くの方の死を見ており、そんな方が被災地に行かれて、初めはこれがこの世かと思い、そこで人が生きているのに驚き、皆さん悲しいのに、生命が輝き、新鮮な思いをしたのです。津波の様子、黒い波とかを話してくれて、1~2分の差で助かったことを話してくれたのに驚いたのです。

 命が輝く、周りが悲惨だからと、平野さんも言われました。

 日頃の仕事で、病室で余命あとわずかの人と話して、命が輝くこともあり、ホスピスに来る人は後持たないと分かっており、特別なことをするのではなく、1日を特別でなく、散歩したい、こんなものを食べたいと、普通の営みを綿々とつづるのが輝くと言われました。ごく普通のことが、命の輝きになるのです。健康だったら、未来永劫続くものが、そういう状況でない、その中で生きているわけであり、その生命力がすごいと言われました。仕事を片付けたいと言う人もいるのです。男に、です。受け継いだ人がやっているのですが、自身でやっておきたい、家族との関係でやりたいこともあると言うことです。

 生活保護を受ける人が加速度的に増えて、家族と何年も会っていない、最後にお詫びを言いたい、逆にそれでも許せないという、命の終わる時を持って、立ち位置が異なるのですが、最後に来てほしい家族もいるのです(今は8割くらい家族が来るが、今までは9割以上来ていた、これは正直さみしい)。

 家族に最後に詫びたいと言う時、水野さんなら逃げたいと言われて、来てもらえない事情は詳しくは分からないが、患者さんが語ることを聞きたい、何も言えないなら、心の中に残して生活するものなのです。和解はどうなのか、田村さんを通して分かることもあるのです。皆さん、納得ではないが、家族のことも理解するものなのです。

 リスナーより、父親を21年前に肺がんで亡くし、最後は苦しみあがき死んでいった、ガンとともに生きる実感が持てず、もう終わりではないかとの質問に、田村さん生きるのは可能で、21年前は痛みを取ったり、コントロールが出来なかったが、今は症状を楽にすることが出来ると言われて、苦しいことがあるとその人らしく生きるのは無理で、痛みが和らぐと、生きることは可能と言われました。

 またリスナーより、子供のホスピスも出来ると聞き、子供たちはどう過ごすからついて、今年の11月に出来て、痛みを取るもので、日本に数か所あるものの、レスパイト、子供の病気は様々で、障害と生きることが求められ、上の子が病気、下の子が違っていても、上の子に標準が行く、そういうタイプのものを、家族ごと引き受けるものであり、またがんの治療を受ける子供の病状が進み、その際は亡くなることがあり、それをサポートするものなのです。日本でも、これからの課題であるのです。子供には、家族とともに安心できる病室が必要で、イギリスでは80年代より子供のホスピスがあるのです。そこから、それぞれの生活に戻る、数年前にそこのシスターが日本にも来られているのです。

 日本で足りないものは、施設は足りないが、人々の気持ち、患者だけでなく、死をどう見ていくかに関心があるのです。当事者だけでなく、人と人の間で起こることなのです。そういうことに、震災もあり、日本人がそういうことに向ける基盤が出来たと言われました。震災で、死が隣にあると知った人が多いのです。

 リスナーより、自身ががん患者で、いとこが同じ病気で亡くなり、やつれたところを見せたくないと最後は看取っていないと言うことで、自分が同じように振舞えるか自信がないと言うことで、人それぞれであり、様々なことを感じて生きている、そうなれば素晴らしいと言われました。

 田村さんの行き方がドラマになり、3月28日、奇跡のホスピスとして放映されるそうです。

 今日は、末期治療のことをお知らせいたしました。
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tomo

Author:tomo
ジャーナリスト、池田知隆のブログです。最近の記事、イベント情報などを掲載しています。

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