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前首相、3・11の真相を語る

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前首相、3・11の真相を語る
菅 直人 氏[前首相、民主党最高顧問]
2012年3月21日(水) http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120316/229865/?P=1

 首相として震災復興を担ったが、対応の遅れや情報開示の問題を指摘された。打ち出した脱原発路線は、「延命策」「人気取り」と批判を浴びる。退任に追い込まれたが、今後も原発事故の再発防止に取り組むという。

 東日本震災から1年、改めて犠牲になられた方のご冥福を祈るとともに、被災者やその地域の1日も早い復興を願ってやみません。

 それにしても、戦後最大の国難において、与党野党が協力し合う形が取れていない。本当に残念で、申し訳なく、その責任を感じている次第です。


 3・11のような惨事は、二度と起こしてはなりません。地震という天災に、原子力発電所の事故という人災が重なりました。あれは人災です。自然災害は防ぐことができません。しかし、原発は人間が作り上げたものです。震災で、原発における安全性への考慮が欠けていたことが明らかになりました。

 だからこそ、二度と起こさないように、問題を捉えて、解決のための政治を日本が世界に対して示していかなくてはいけません。


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原発情報、隠していなかった
 福島第1原発がある場所は、建設前は海面から35mの高台でした。それをわざわざ、海面から10mまで土地を削って建てている。その事実が、東京電力の社史に、誇らしげに記されています。冷却するために、海水を効率的に取水して利用できるわけです。「先見の明があった」とも書かれています。ところが、この地域に50年、100年に1度、大津波が押し寄せてくることは、歴史を見れば分かることでした。

 驚くことに、ディーゼル発電機を一番低い場所に設置していた。なぜ、そこに置いたのか。聞くところによると、米ゼネラル・エレクトリック(GE)から製品を購入する契約を結んだ時、GEはコストを下げるため、直前に製作した原発の設計図をほとんどそのまま採用したそうです。そして、低い位置に電源を設置してしまった。その土地が持つ固有のリスクが、全く考慮されていなかったわけです。

 有事を想定した対策も、多くが機能しませんでした。象徴的な例がオフサイトセンターです。各原発の近くに設置されている施設で、非常時にはここに専門家が集まって対策を出すはずでした。これは原子力災害法で定められていたことです。しかし、今回の震災ではオフサイトセンターは全く機能しませんでした。

 地震による渋滞などの影響で、専門家が施設にたどり着けない。ヘリコプターを使って、数人が乗り込みましたが、電源は落ちているし、通信手段も断たれている。集まるべき人が集まらない。そうしているうちに放射線量が上がる可能性が指摘され、ビルを移動し、最後には福島県庁に移転しました。つまり、法律で「判断拠点」とされた施設が全く機能しなかったのです。

 厳しい事態を想定すべき状況なのに、それができていない。大きな理由は、原子力安全・保安院といった原発を監視・規制すべき組織が、原発を推進する立場にある経済産業省の管轄下にあったことにありました。以前は、科学技術庁の管轄だったのですが、橋本(龍太郎)内閣で文部省と合併した際に、科技庁にあった組織を経産省の部局と統合して、今の保安院ができたのです。そして、経産省という原子力を推進する官僚組織に組み込まれてしまった。

 日本では、停電でもすぐに電力が復旧するし、緊急電源も整備されているため、原発の電源問題は軽視されてきた。でも、米国は9・11の後に、テロによる電源喪失を想定して、何重もの対策を決め、日本の原子力保安院にも伝えたと言われています。しかし、現実には、原子力安全委員会や東電にきちんと伝わっていなかった。

 全電源喪失という重大な問題提起に対して、専門家も行政も電力会社も、いわば握りつぶしてきたのです。「起きないこと」として。

 情報伝達という問題で言えば、首相だった私にどれだけの情報が集まっていたのか、現在、検証が進んでいます。最近になって、当日の午後8時にはメルトダウンが起こっていたと言われています。しかし、当日に私がもらった情報には、そんな内容はなかった。東電は「燃料棒の上まで水がある」と言っていました。「だからメルトダウンはない」と。結果的には、その水位計自体が壊れていた。

 「分かっていたのに、情報を隠したのではないか」と批判されます。はっきり申し上げて、隠しておこうと思って抑えた情報は1つもありません。私まで上がってこないのです。

 「官邸に伝えた」という証言があるようですが、私まで届かない。官邸には多くの人が詰めており、その誰かに話しても、私に伝わらなければ、私としては判断のしようがない。放射性物質が大気中をどう流れるか予測するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報も来なかった。

「名ばかり原子力規制庁」にするな
 ベント(排気)の実施でも、東電の対応は不可解でした。当初は東電自身が「ベントすべき」と言ってきたので、最悪の事態を考えて「やるべき」と判断した。ところが、なかなか実施されない。「なぜ?」と聞いたら、「分かりません」と言う。

 現場から正確な情報が上がってこない。情報がないまま「対策を打て」と言われても、政府としては判断ができない。保安院からも案が出てこないし状況も分からない。

 ここ(官邸)にいては何も分からない――。そこで、福島にヘリコプターで飛び、現地にいる所長に話を聞いてベントを直接指示したわけです。その後も東電に直接足を運んだ。そうしないと、情報が上がってこないからです。

 「総理大臣は、官邸でじっとしておくべきだ」という人もいる。原発の情報がきちんと入ってきて、専門家が見解や判断をして、最終的な決断だけを首相が担うなら、官邸にいてもいい。

 しかし、何も原発の状況が伝わってこない中で、3日も4日もじっと待っていていいのでしょうか。確かに、私は原発の細かい専門知識はありません。陣頭指揮に対しても、異論はあるでしょう。しかし、あの場面では、現場に乗り込むしかないと判断しました。統合対策本部を官邸に置かず、東電の本店に置いたのも、その方が情報が集まりやすいと考えたからです。

 今回の原発事故で反省しなければいけないのは、全電源喪失というワーストシナリオを誰も考えて準備していなかったことでしょう。当事者である東電や規制・監督すべき立場の原子力保安院や経産省、そして政府といった関係者で、誰一人考えていなかったし、備えもなかった。

 当事者の中に、「メルトダウンした場合は」という想定自体がないのです。メルトダウンという事態は起きないことになっている。

 こうした問題を振り返るだけでなく、反省をどう生かして、3・11を二度と起こさないための仕組みを作っていくか。

 まず、4月には原子力規制庁がスタートします。原子力保安院が経産省から切り離されるわけですが、解体して刷新しないと、同じ悲劇が起こりかねません。枠組みを変えただけで、規制する組織として機能するのか。人材の問題もあります。今回の失敗を糧に解体的出直しを図り、次世代に引き継ぐ必要があります。

「脱原発依存」の運動は続ける

3・11の教訓を生かし、再生可能エネルギーの普及を訴える(写真:村田 和聡)
 日本は原発推進国で、それが「環境先進国」になる道だと世界に売り出していました。エネルギー基本計画によると、2030年には50%を超えるエネルギーを原発で賄う予定だった。原発事故によって、計画をそのまま遂行するなんて、誰も考えないでしょう。かといって、石油などの天然資源があるわけでもない。だから、いち早く「脱原発依存」を宣言し、省エネと再生可能エネルギーの拡大を目指すことにしたのです。

 3000万人が避難するほどのリスクがあるエネルギーです。安全性を考えれば、壁を厚くして、高い堤防を築くような対策をするのではなく、そもそも原子力に頼らない社会を作る方がいい。私は「反原発」とは言っていません。原子力に依存しなくても済む社会を創る。それが「脱原発依存」です。

 2020年にも再生可能エネルギーを電力需要の20%まで持っていきたい。今、日本の再生可能エネルギーは水力を除くとたった1%程度。これを20%まで引き上げるには、エネルギー計画を根本から変える必要があります。

 そのために、電気の固定買い取り制度といった法律を整備しました。スペインやドイツを視察しましたが、法制度が整えば、民間企業がどんどん参入し、積極的な投資も増えます。日本には発送電分離など、乗り越えるべき課題がまだ多く残っています。

 ドイツではメルケル政権の前に、社会民主党が緑の党と連立政権を組んだ時期がありました。その時、「脱原発」に政策の舵を切ったのですが、時間が経つにつれて薄れてしまった。ところが、福島の事故で一気に「脱原発」を決めた。2022年までに国内の原発をすべて止めて、2050年までに80%を再生可能エネルギーにすると政府が方針を定めたのです。国民の大多数も賛同している。国と国民が一体となれば、変えられないものはない。

 首相在任中、よく「延命」や「思いつき」と批判されました。ただ、国民は、政策立案の過程はどうであれ、出てきたものの内容で判断してほしい。誤解を恐れずに言えば、国民のためになれば、思いつきであるなしは問題ではない。

 浜岡原発の停止を中部電力に要請した時も「人気取り」と批判されました。ストレステストの導入もそうです。「ではストレステストはせずに、原発再稼働を原子力保安院に単独で決めてもらっていいですか」と問い返したら、「それでいい」という答えになったでしょうか。従来の法律で保安院が決定することになっていても、国民が納得するはずがない。もっと中身を見て、判断してほしかった。

 もちろん、国民の期待に応えられなかった部分もありました。政治で100点を頂くことは難しい。ただ、私はこの失敗を検証して、原因を探り、次の世代に遺す活動は続けていきます。

 1995年の阪神・淡路大震災では、自衛隊の出動が遅れました。知事の要請が必要だったからです。その過去を知っていたので、今回は自衛隊が早期に出動できました。

 3・11を二度と起こさない――。それは人類の願いでもあるでしょう。そこに与野党の垣根などありません。悲劇を繰り返さないような危機管理体制と対応策を、真剣に話し合うべきです。

 私の政治活動は市民運動からスタートしました。市民運動とは1つのテーマを掲げて、草の根から運動を始めて実現を目指すものです。総理の座は降りましたが、もう一度自らの原点に返って、再生可能エネルギーを普及・拡大するというテーマを心に抱いて、地道に歩んでいこうと思います。

日経ビジネス 2012年3月12日号98~100ページより

菅 直人(かん・なおと)氏

1946年10月山口県生まれ、65歳。東京工業大学卒業後、市民運動家として活動。74年、市川房枝選挙事務長に。80年に社会民主連合から立候補して初当選。96年、厚生相として薬害エイズ問題で厚生省の責任を認めて謝罪。同年、民主党結成、97年に単独代表に。2009年の鳩山由紀夫内閣では副首相や財務相を務め、2010年に首相就任。2011年9月退任。現在は民主党最高顧問を務める。
(写真:村田 和聡)
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